ありえたかもしれないミレニアムについての妄想







 キラ暦1000年。
 そこは、限りなく善なる世界。






 犯罪の無い平和な世界が実現して1000年も経つと、人々は優しさに満ちあふれた。

 優しいというのは美しいということだったので、必然、世界は美しい行為で満ち溢れるのだった。


 ゴミのポイ捨ても暴走・騒音行為も酔っ払いも痴漢も強盗も強姦も殺人も政治家の汚職も戦争も…全ての犯罪行為は一掃され、世界は美しさ窮まりなかった。


 そしてそういうわけだから、みんな、悪を忘れてしまった。



 警察も裁判所も意味の無いものとなった、だってこの新世界において「争い」なんて、そもそも、おこりっこないのだから…
 そして悪が存在しなくなると同時に善の存在も希薄となった、当たり前だ、それらは二つ並んで初めて意味のあるものなのだから。

 善いことをするのは当たり前になり、従って「感謝」という感情はことさら必要ではなくなった。
 「優しさ」という言葉も廃れた、みんな優しいのならそんな言葉必要無い、
 人間に向かって「あなた、人間ですね」って言わないでしょ?



 そういう世界だった、
 悪は知らないけど善も知らないひとびと…そんなこと、そんな判断、自分たちが下すものではないって、何も考えようとしないひとびと…
 
 やさしいけれど消極的で無気力で退屈な世界。



                  …そんな世界、どこかで、見たこと、ある…



 そうして、

 善がはびこる退屈な世界で、

 退屈な少年がデスノートを拾った。





 キラ暦1000年。
 悪の復権も、もう 間近。









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 逆デスノ。

 …ヨハネ黙示録ではキリストの支配する幸福な一千年間が終わるとサタンが牢獄から解き放たれ、終末の戦いが行われることになってるのでした。

 善だろうが悪だろうが、千年は保たないと思う。

 



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